にょほほ電鉄 - 車両 - 東京都交通局
東京都交通局は、都内に地下鉄と案内軌条鉄道、バス、路面電
車を所有する東京都の交通事業部門。起源は1882年創業の
東京馬車鉄道で1911年に東京市が買収し路面電車事業を開
始した。1957年には実験線として日本初のモノレールを開
業。1960年には都営初の地下鉄を開業した。なお関連事業
として奥多摩の多摩川上流に水力発電とダムを所有する。
駅名標 東京都交通局

駅名標は、各路線のラインカラーを上下に配して、駅ナンバリ
ングシステムに基づく駅番号を自駅と次駅に記している。新宿
線の駅名標はラインカラー内の細長いパネルに文字のみを配し
たものを採用する。登場時期によって、デザイン細部が異なり
画像は現行駅名標のうち後期型であるが、現行初期型はライン
カラーが細い。
※下段は現行初期型の駅名標の画像。

和文書体:新ゴ(現行初期型は新聞特太ゴシック)
欧文書体:Frutiger(現行初期型はHelvetica)
大江戸線の駅名標は当初、黒基調の独自デザインであったが、
後に他路線と同様のものに取り替えられている。大江戸線の駅
名標には列車接近表示が内蔵されており列車が接近すると「電
車がきます」の表示が点灯する仕組みとなる。

和文書体:新ゴ
欧文書体:Frutiger
日暮里・舎人ライナーの駅名標は、ホームドアの鴨居部(一部
エレベータ壁部)に設置される。下部には各駅ごとにステーシ
ョンカラーが配され、次駅下部には次駅のステーションカラー
が縞状に配される。

和文書体:イワタ新ゴシック体
欧文書体:Helvetica

都電の駅名標は、駅ナンバリングおよび「東京さくらトラム」
の愛称導入に伴い新駅名標が登場している。昭和30年前後の
雰囲気に改装された三ノ輪橋・庚申塚の各電停の駅名標はレト
ロふうのものとなる。
※下段は庚申塚電停の駅名標の画像。

和文書体:新ゴ
欧文書体:Frutiger

注意喚起用ドアステッカーは、2015年より都電荒川線マス
コットキャラクター「とあらん」をモチーフにしたドアステッ
カーが登場した。左右の扉で、開扉時と閉扉時それぞれの注意
喚起となっている(画像は開扉時注意喚起ステッカー)

※矢印を画像にかざすと閉扉時注意喚起ステッカーの画像へ。
以前のドアステッカーは、シンプルな絵柄のものであった。地
下鉄では消滅しているが、都電荒川線では残存する。余談であ
るが、秩父鉄道に譲渡された元・三田線6000形(秩父鉄道
5000系)には更に昔のステッカーが残存している。
※矢印を画像にかざすと昔のステッカーの画像へ。




■12−600形(1次車:2012年)

大江戸線用車両。ホームドア導入に伴う停車時間の増加、また運転本数増加による車両不足を補うべく投入された。車体形状や仕様は12−000形を踏襲するも、ストライプ形状や制御装置の変更など細部に変化が見られる。当初は車両不足に伴う導入であったが12−000形初期型の老朽化に伴い増備が再開された。
■12−600形(2次車:2015年)

大江戸線用車両。開業より活躍した初期車の老朽化に伴い代替えとして投入された編成。1次車との相違点はスカートまわりのデザイン変更と、窓周りにラインカラーを貼付している点である。車内は照明をLEDに変更、乗降扉上には横長タイプの液晶表示器が設置された。
■12−600形(3次車:2018年)

大江戸線用車両。混雑緩和と輸送力増強のため投入された編成。車体前面は大江戸線のラインカラーを強調したデザインとした。車内は、袖仕切や連結面貫通扉に、江戸小紋柄を配した強化ガラスを採用し、解放感をもたせたほか、Wi−Fi設備や空気清浄機、またベビーカーなどに配慮した「フリースペース」も設置された。
12−000形・後期型(1997年)

大江戸線用車両。練馬〜新宿延伸時および環状部開業の際に大量に投入されたグループ。保守軽減のため、アイボリー塗装をやめ、アルミ無塗装となった。また運転室拡大のため、車体前面の傾斜は緩くなった。制御装置(VVVFインバータ)は、前期型では耳障りだった起動音の低減を図るべく静音タイプを採用した。

■12−000形・前期型(1991年〜2016年)

大江戸線用車両。開業当初に投入された編成である。リニアモータ式を採用した地下鉄としては、大阪市交通局の長堀鶴見緑地線に続き2例目の採用であったが、車両は大阪市のものより丸みを強調し親しみ易さを全面に押し出した。前期型(1・2次車)は老朽化に伴い2016年6月をもって引退した。
■12−000形(試作編成・1986年)

正直「懐かし」と言うよりは「幻」の車両である。大江戸線(当時は12号線)建設の際、リニアモーター試験のため馬込車両基地内に実験線を設けたが、その実験車両として製造された。車体はステンレス製。実験の終了とともに廃車となり、営業路線で活躍する事は無かった。なお現在は、豊島区の「千早フラワー公園」にて保存されている。

■10−300形・前期型(2005年)

新宿線用車両。10−000形初期製造車両の老朽化による置換えと、列車無線のデジタル化に伴う機器更新を目的として登場した。前面デザインこそオリジナルであるが、東日本旅客鉄道E231系と同一思想による設計である。1次車は後期型と置き換えられ廃車となり、現在は2次車のみが活躍する。
■10−300形・後期型(2013年)

新宿線用車両10−300形は、2013年度製造の3次車からは仕様が変更され、東日本旅客鉄道E233系の設計思想を反映させた。外観は常磐線用E233系と酷似する。新宿線の新型車両である事を明確にアピールするため、またホームドア設置を考慮し、グリーンのストライプはドア上に配置した。
※画像は4次車。

■10−300R形(2005年〜2017年)

新宿線の保安装置更新に伴う導入コストを抑えるため、10−000形のうち経年の浅い中間車は再利用され、新しい保安装置を搭載した先頭車を新造、連結した。この先頭車両は10−300R形と呼ばれる。10−300形とは搭載機器類が異なる。10−300形の増備により、登場からわずか12年で引退となった。

■10−000形(1978年〜2018年)

新宿線用車両。開業時から活躍したステンレス車両。前面にはFRP製の額縁を設けて立体的な前面デザインとなる。試作編成から数えると27年間にわたって製造されたため、登場年次によって僅かずつ仕様が変化しており、車体構造も1・2次車は外板のみステンレス鋼であったが、3次車以降は骨組みを含めてオールステンレス構造となる。また7次車ではスカート(排障板)が設けられた。最終増備車である8次車は、デザインが大幅に変更された。10−300形の増備により、2018年2月をもって引退した。

※下段は最終増備車である8次車の画像。
■10−000形・第1編成(1971年〜2004年)

新宿線用車両の試作編成。新宿線の車両を検討の段階で、当時最先端の試みを実験するため新宿線開業の7年も前に製作され、三田線で試運転が行われた。車内には世界初の次駅案内表示機が設置され、都営初の冷房装置も装備された。無線機器更新に伴い10−300形が登場、それに伴い試作編成は2004年に廃車となった。

■6500形(2022年)

三田線用車両。相鉄線との直通運転開始に伴い8両編成化が必要となった事から導入された。デザインは無駄がなく機能美を感じさせられる、スクエアな形状となる。客室内はラインカラーである青を基本とし、透明感や清潔感を演出するためガラスを多用した。また利用者に安心感を提供するため、乗降扉上と車端部に防犯カメラを設置した。
■6300形(1993年)

三田線用車両。6000形の老朽化と、東急目黒線との直通運転計画に対応するため登場した。当時の都営交通はホワイト塗装の新型車両が続いていたが、6300形はステンレス無塗装に逆戻りとなる。1・2次車は一部にボックスシートを採用したが、3次車以降は廃止された。6500登場に伴い
1次車は廃車が進む。

■6000形(1968年〜1999年)

三田線用車両。開業当初より活躍。建設当初は東武東上線、東急池上線と直通運転を予定してしていたためか、ステンレス製ながらも前面形状は東武8000系に類似している。三田線のワンマン運転化により、後継車両の6300形と置換えられ、1999年に廃車となった。現在は、秩父鉄道などで活躍中。
※画像は秩父鉄道での撮影。

■5500形(2018年)

浅草線用車両。浅草線リニューアルプロジェクトの一環と5300形の老朽化に伴い登場。「日本らしさとスピード感が伝わる車両」をコンセプトとした車両は歌舞伎の隈取を思わせる前面形状とした。内装には和紙や寄せ小紋のほか東京の伝統工芸品である江戸切子の柄を採用し、遊び心を持たせた。営業最高速度は120キロとなる。


■5300形(1991年〜2023年)

浅草線用車両。5000形の老朽化と北総線開業による相互直通に対応すべく登場した車両。21世紀を見据えた斬新なデザインとしホワイト地に赤・ブラウンのストライプは「浅草」をイメージしている。1〜4次車は前面スカート(排障板)が短いものであったが5次車からはスカートは大型の物となった(
画像は5次車)制御装置はVVVFインバータ制御であるが、ちと起動音が五月蝿いのが難点。老朽化のため2023年をもって引退した。
※下段は初期型車の画像。
■5200形(1976年〜2006年)

浅草線用車両。5000形と同じ性能ながら鋼体をステンレスに変更、また冷房準備工事が予め施されていた。なお実際に冷房が設置されたのは1988年である。冷房車である事が幸いし、5000形が引退した後も活躍を続けたが、京急を始めとする列車高速化に対応できず、また老朽化のため2006年をもって引退した。
■5000形(1960年〜1995年)

浅草線用初代車両。日本初の地下鉄〜民鉄間での相互直通運転を行うため、乗り入れ先の京成と仕様を揃え、塗色も当時の京成車両と同じく上半分がクリーム、下半分がオレンジとなる。ただし塗色は後に、画像の塗装に変更された。非冷房が災いした事と老朽化のため5300形との置換えが行われ1995年に廃車となった。

■320形(2017年)

日暮里・舎人ライナーの最新鋭車両。330形と同じく同線の利用者急増に伴う混雑緩和のため登場。新潟トランシスが入札した車両で、車体はステンレスとなり、ダイナミックな外観とスタイリッシュな室内を表現している。なお、以後の増備が330形となったため(三菱重工が入札したため)320形は1編成のみの存在となる。
■330形(2015年)

日暮里・舎人ライナー用車両。同線の利用者の爆発的な増加に伴う混雑緩和のため登場した。車体は三菱重工製のアルミ車体で300形と比較しての軽量化を実現。室内はロングシート化され、1編成あたりの輸送人員を大幅に増加させた。当初は増発に伴う投入であったが、定員数の少ない300形の置き換え目的で大量増備となった。
■300形(2008年)

日暮里・舎人ライナー用車両。同じ都内を走るゆりかもめ用車両と同等の仕様となる。登場当初はボックスシートが併設されていたが、乗客増加による対策として一部座席のロングシート化が行われた。それでも爆発的な乗客増加には対応できず、330形への置き換えが開始された。後から増備された4編成以外は引退の予定。


■9000形(2007年)

都電荒川線用車両。都電の活性化と、引退した6000形に代わるイベント用車両として製造された。明治〜昭和初期の東京市電の雰囲気とした外観であるが室内はバリアフリーに対応した設備となる。当初は休日やイベント時のみの運行であったが、現在は他車と共通運用となる。なお2009年には9002号車が登場、9001号車の臙脂に対し、青い車体で登場した。
※下段は9002号車の画像。


■8900形(2015年)

都電荒川線用車両。7000形の老朽化に伴い登場した最新鋭車両である。デザインは、8800形デザイン公募時に次点となったデザインにアレンジを加えたものである。
安全性向上を目的に運転台脇の視界を広く確保。車内出入口付近の通路幅を拡大し、乗降時にスムーズに移動できるようにした。車内には液晶画面モニターを2機設置。2015年9月に登場した8901・8902号はオレンジ基調であるが、2016年に登場した8903・8904号はブルー、8905・8906号はローズレッド、8907・8908号はイエローとなる。


■8800形(2009年)

都電荒川線用車両。7500形の老朽化に伴い登場。都電の「先進性・快適性」をコンセプトとして、3案から公募により採用された丸みのある外観とする。塗色は8801〜8805号がローズレッド、8806・8807号はバイオレット、8808・8809号はオレンジ、8810号はイエローとなる。特に8810号は唯一の黄色い電車であるため「見つけると幸せになる」との都市伝説が生まれ、同様に黄色い電車を1編成のみ所有する東急世田谷線と共同キャンペーンを行った。なお登場から2ヶ月間は、東京都下水道局のバイオマス発電によるグリーン電力を活用のうえ、営業運転を行っている。

■8500形(1990年)

都電荒川線用車両。都電の量産型としては初のカルダン駆動(試作では5500形と6500形が採用)また都電初のVVVFインバータ制御搭載車両である。四半世紀ぶりに登場した都電の新型車両であり、路面電車の「新時代」を予感させた。しかし当初は全車両を置き換える計画があったものの、当時の都が財政難であったため僅か5両で製造終了となった。なお量産先行車である8501号車のみ前照灯など細部の形状が異なる。
※矢印を画像にかざすと8501号車の画像に。

7700形(2016年)

都電荒川線用車両。登場後62年、またワンマン運転開始後39年経った7000形は老朽化のため廃車を進めていたが、一部車両を交通局若手職員を中心とした「荒川線アピールプロジェクトチーム」による魅力向上の一環として大規模改修工事を行う事となった。車体は流用しつつも乗車扉は拡大、走行装置は台車を最新型に、制御装置もVVVFインバータ化されエネルギー効率の向上を図った。外観はレトロ風にアレンジした塗装を施され、7701・7702号は緑色、7703〜7705号はブルー、7706・7707号は臙脂色となる。

花100形(2011年〜2018年)

都営交通100周年を記念して都電荒川線に実に33年ぶりに花電車(祝賀行事等を記念して走行する装飾電車)を走らせる事となり廃車となった7500形を改造して装飾用車両とした。運転席以外の客室部は空洞となる。車籍上は貨物車両扱いのため乗客が乗る事は出来ない。なお、記念行事以後は殆ど出番がなく、2018年に廃車となった。

7500形(1962年〜2011年)

東京中の都電が廃止となる中、短期使用を目的とした8000形の性能があまりに悪いことから急遽製造された。そのため荒川線存続の際に、配属車両として白羽の矢が立つ事となった。当初は丸みを帯びた形状であったが1984年の冷房工事の際に車体が新造された。老朽化のため2011年に引退。現在は7504号が「都電おもいで広場」に、7514号が「江戸・東京たてもの園」に、7506号が台東区池之端に保存されている。
※下段は登場当時の姿で保存される7514号の画像。

7000形(1954年〜1977年改造〜2017年)

東京中に都電の路線網が広がっていた時代に登場した7000形は当初は丸みを帯びたデザインであったが、荒川線存続の際、ワンマン運転開始の一環として車体を新造。従来の路面電車にはない直線的で斬新なデザインとなった。路面電車初のバリアフリー対策と相まって、以後の路面電車デザインに影響を与えたこの車両は、鉄道友の会「ローレル賞」に輝いた。老朽化のため2017年6月をもって引退。なお一部車両は大規模改修のうえ7700形となった。
※下段は後年の塗装の画像。
6000形(1947年〜2001年)

最盛期には290両もの大所帯となった都電の代名詞。荒川線のワンマン化に対応できず一旦は営業運転から退くが、6152号がイベント用として復活し人気の的となった。ところが京福電鉄で発生した衝突事故を機にブレーキ系統の安全基準が設けられたが、当車両が基準に満たず、止む無く引退となった。現在はあらかわ遊園などで保存。
5500形(1953年〜1967年)

アメリカで開発された高性能路面電車・PCCカーの技術を用い製造された車両。また5501号車は鉄道車両では異端とも言える足ペダル式のマスコンを採用した。しかしあまりに特殊な仕様で普及しなかった。車体長の関係で生涯、第1系統のみの運用で、第1系統の廃線と同時に運命を共にした。現在は「都電おもいで広場」にて保存。

40形(2000年〜2019年)

上野動物園を走る日本初のモノレール「上野懸垂線」の4代目車両。軌道桁にぶら下がって走行する、いわゆる懸垂式モノレールであるが、世界初のモノレールであるドイツ・ヴッパタールのランゲン式モノレールを参考にした珍しい方式を採用した。施設の老朽化に伴い2019年をもって上野懸垂線の運行は休止され、車両も引退となった。